改めて明神下診療所で何が嫌だったか

9月22日に更新した記事通りにリハビリも兼ねてあの診療所で何が嫌だったかについて改めて書きたいと思います。

 

簡潔に言うと次の4つが大きく

①相手が本当に困っている事に対して相手の立場に立って話を聞かず取り合わない・見て見ぬふりを続ける

②相手に二次障害の疑いがあっても頑なに認めずそれ相応の診察もせず薬も出さない

③都合の悪い事は他人のせいにして患者自身に問題があると一方的に片付ける、場合によっては患者を必要以上に追い詰める事も日常茶飯事

④診療所の患者が参加できる当事者会に参加していた時期があったが、院長の身勝手な理由で診療所の管轄から外され、運営を参加者(患者)に丸投げされた後、会の運営等を巡って内部の人間関係がギクシャクしても診療所は介入せず管理が杜撰な事に対し怒り心頭であり心身に悪影響を及ぼした

 

時系列で示すとこの診療所に繋がった2008年当時や通院開始から最初の5年迄はそこまでおかしいとは思わなかったが、2014年に診療所の体制やスタッフの削減・入れ替えを行った辺りから院長の様子がおかしいと薄々感じ、診療所に年々違和感を持ちつつも院長に良心を取り戻してくれるのを信じる気持ちも含めて通院を続けてきたが2018年に信頼関係に亀裂が入り2019年にその関係が完全に崩れ去るような言動を取られ逃げ出すに至りました。

 

2008年-2013年(初期)

当時は違和感は感じずむしろ幼少期から診療所に繋がるまでの生きづらさが発達障害が原因である事が腑落ちできた事に院長のフィードバックに納得ができた。

2008年当時は大学卒業間近を控えていたが就活が上手く行かず障害者手帳を取得の上、障害者枠での就職活動を勧められ2009年に大学卒業・幸いにも1社から内定が頂けてそこに就職する事ができた。

しかし当時の就職先の社風や上司と合わず、2011年末に適応障害を発症して退職に至った。

創業から10年弱で規模が大きくなり始めたばかりのITベンチャー企業で障害者採用をやり始めたばかりであった事やそもそも発達障害どころか障害者雇用そのものの認識の甘さや配慮に欠けていた杜撰さに院長もあまり良い顔はしていませんでした。

前職を退職後は院長の勧めもあり、1年程度は前職の健保組合の傷病手当金を受けられたり、回復して再就職活動を始められれば雇用保険も受給できる目処が立っていた為、収入には当分困らず当時あった就労支援デイケアに参加していました。

週4日どこかに属して生活リズムを維持する目的で通所する分には悪くはなかったが、就労支援担当のスタッフに違和感を持っており(この方についてはまた別の機会に書こうと思います)、再就職活動は元NHKの人が立ち上げた某就労移行支援施設に移って開始しました。

 

2014年-2017年(中期)

2013年後期に上記就労移行支援施設を通じて現在の会社から内定を貰えて再就職に至りました。

2013年中に当時就労支援デイケアに通所していたメンバーに周知されましたが、2014年春に就労支援デイケアを廃止すると発表されました。

もう再就職は果たせたので就労支援デイケアはもう関係なく、今度は2014年明けから働いている人向けの土曜デイケア(現:明神下患者会)や明神下ソーシャルクラブといった診療所の患者が参加できる交流サロンに参加していきました。

土曜デイケアは2014年春までではあったものの就労支援デイケアにも入っていた馴染みのスタッフが担当していたので安心があったが、2014年の体制変更でその人も含めて当時デイケアに関わっていたスタッフは全員退職した。

 

まぁここからだったね。

2014年春に診療所の体制やスタッフを総取っ替えして以降、明神下診療所との関係に歯車が狂い出したのは。

土曜デイケアの後任に変な人に世話人に入られて(この人についても別の機会に記事化予定)今までの土曜デイケアのスタイルや雰囲気、人間関係を壊されてメチャメチャにされたり、後任の世話人が特定のメンバーに露骨なえこひいきをして世話人とそのメンバーが結託、その二人中心に居心地の良い場所にしてしまった事、就労支援デイケアの閉鎖に伴ってただスライドして移ってきた人がいたが、就労支援デイケアに参加した事のある人の間では評判の悪い問題人物であった。

障害特性の重さと社会性の無さからそもそも土曜デイケアには合わない人であり、院長の判断でただスライドさせただけであったが、本人も就労支援デイケア閉鎖後の進路にやる気がないのか、障害特性の重さと社会性の無さから他のデイケアや作業所だとお断りされるタイプだろうなってのは想像できた。

土曜デイケアは次第に足が遠退き退所、就職後や土曜デイケアの人間関係のストレスで薬の処方が変えられたが、その当時新しく処方された薬で薬疹を発症したがこの時に米田から酷い目に遭い、最悪この男に殺されてもおかしくなかった。

薬疹が出たからにはその時飲んでいる薬の服薬の一時中止や変更をして貰うようにと当時の皮膚科の先生の判断であったが、それに対し米田は

「変更はいいが服薬の一時中止は認められない!そんな事したらASDの症状が悪くなる!とにかく飲み続けろ!」の一点張りで終いには

「その皮膚科の言っている事がおかしい!」

「薬疹なんか発症する自分が悪いとか俺が処方する薬が飲めないなら不幸の道に突き進むしかないね(笑)」

と言われて、こっちは薬疹による全身の痒みや倦怠感で意識も朦朧としていた中でそのような事を言われ酷く傷つくだけだった。

結局無断でだが一時的に自己判断で薬疹が引くまで明神下で出されている薬は飲むのやめていました。

 

土曜デイケアは辞め、もう一方の明神下ソーシャルクラブにも参加していたが、ここも院長の勝手な都合で診療所管轄から外された後の会の運営や会費負担を巡って人間関係がギクシャクし始めて不愉快な思いをした。

明神下ソーシャルクラブの方が土曜デイケアより不愉快な出来事が多過ぎて、今書くと長くなるだろうからこれも別の機会に記事化予定にします。

 

2018年(後期)

この年は自分にとってかなり散々であった。

会社の人事や組織体制の変更、異動先の業務や人間関係に馴染めず二次障害が今まで以上に酷くなった。

それも米田に話したが例の如く的外れな私見を言われるだけで、診察も適切な薬の処方もされず(厳密に言うと処方はされたが今のクリニックでヒアリングをされた時に当時の自分のメンタルの状態では飲んでも無意味な薬だと言われた)医師判断で配置転換や休職の診断書も書いて貰えず、年後半は良くなったり悪くなったりの波を繰り返した。

Googleのレビューにも書かれているが、この頃から診察中の診察室から院長の怒鳴り声が聞こえてくるのが気になり、おかしいとも思い始めました。

 

2019年(末期、年内途中で無断転院)

年前半の診察があった頃、プライベートの人間関係でも色々ありメンタルが悪かったが、診察の過程で院長に話しても例の如くロクに話も聞かず自分に非がある片付け方をされ、この時に何かが吹っ切れました。

 

「もう明神下では診て貰いたくない!」

 

この一言に尽き、先々の事を考えると人として普通のアクションを取る事を否定され、今の職場に不満もあり転職を検討中だがこの人の下に掛かっている以上、転職も否定され転職するより診療所傘下の作業所に入るように促されて搾取されかねない、心を米田に殺され兼ねないと思ったからだ。

作業所は2016年頃から始めたらしく利用した事はないので何とも言えないがあまり良い噂は聞こえてこなかった。

このまま明神下診療所に掛かり続けるのは自分にとって都合が悪く、上記2019年前半のある時期の診察で信頼関係が完全に崩壊した後は水面下で現在の転院先を探し、その間現在のクリニックと調整、半年間は女優のように模範的な患者を演じるフリを続けた後、タイミングを見計らって明神下診療所から現在のクリニックへ逃げ出す事に成功しました。

 

かなり長くなりましたが、今回はひとまずここで切ります。

他にも色々思う事は別の機会にテーマ別に書きたいと思います。