イイトコサガシについて改めて注意喚起

以前、イイトコサガシ並びに代表の冠地情と関わっていた際のトラブルについて綴りました。

最近、Nさん(ハンドルネーム)のブログでイイトコサガシについて考察されてた記事を見つけましたが、イイトコガサシに対してNさんとほぼ同意見の感想だった事に加え、ここ2〜3年の冠地氏についても看過できない言動が多いのも目に余っていたので改めて注意喚起の記事を書こうと思いました。

 

注意喚起=関わるべきではない と思うポイントは以下の通りです。

 

①実生活で役に立たないコミュニケーション術

イイトコサガシには何回か参加経験がありましたが、デモンストレーションで行う冠地氏の芝居がかった自己表現や参加者にも同様の表現力を出すように口出しする所が苦手でした。

要するに過剰なオーバーリアクションという事ですが職場、プライベートで家族・友人・恋人と口頭で話す際には不向きな表現方法を求められたのです。

以前、冠地氏の経歴を目にした事がありますが、この方は昔演劇サークルに所属していた事がありそのサークルの参加者から演技が良かったと褒められた成功体験があったと拝見しました。

それはそれで良いと思いますが、発達障害や自身の成功体験を口実に発達障害者の生活訓練の場を開くのは違う気がしました。

そこを見透かされているから冠地氏と当事者のミスマッチが広がるばかりのように思えます。

 

②「言語化」と「建設的対話」

冠地氏は言葉や文字にして相手に何かを伝える、相手との対話を重視する考えを持っています。

ただこれも時と場合によっては相応しくないやり方を流布しており、特に発達障害者では間違ったやり方をすると深刻な人間関係のトラブルを招かねない方法でした。

日常会話で当たり障り無い会話や挨拶の分には別に問題はありませんが、ギクシャクしている等微妙な間柄の人にそれを実行するのは有用ではありません。

発達障害者向けに福祉・就労問わず支援施設が拡充された現在では生活訓練の一環として人間関係のトラブルに巻き込まれないスキルを教えている施設も珍しくありません。

要するにトラブルメーカーとなる相手に対して事実であったとしても余計な事を口にしない等、スルースキルを教えており、冠地氏のように何でもかんでも「言語化」と「建設的対話」を重視するやり方とは対照的でしょう。

冠地氏自身も特にイイトコサガシの活動についての意見を求める際にも「建設的対話」を豪語しておりますが、正直に意見を申し出たところで他人の意見を素直に聞く素振りもなく、facebookで第三者とのやり取りを見ていても意見を頂いた相手に対してかなり失礼且つ屁理屈なコメントで返信したり難癖をつけてばかりなのも良く思っていませんでした。

そう言った事が繰り返されていく内にfacebook上でも頻繁にやり取りしている人が減って固定化されていきました。

リアル・ネット上を問わずリアクションが少ない事に対しても癇癪を起こすようにキレているのもしばしばでしたが、上述したような事を繰り返していれば信用だけ落ちて構ってくれる人がいなくなるのも文句が言えないでしょう。

「建設的対話」と言いますがそれに素直に反応してくれるのは相手との普段からの信頼関係もついてくる事でもあります。

そもそも検討レベルでも素直に受け入れられないのなら他人に意見なんて求めない方がいいと思いますよ。

 

③イイトコサガシへの活動協力が不当要求レベル

冠地氏はここ2〜3年程で書籍出版や東京の一部地域で聴取できるラジオ番組を持つようになりました。

これに対してもfacebookでの友人やフォロワーさんを中心に無理難題とも取れる活動協力を呼びかけ、これに関してもリアクションが少ないとfacebook上で癇癪を起こしてキレていた時がありました。

facebookをフォローしていた当時、俺自身もfacebookメッセンジャーで冠地氏から「1日1回、イイトコサガシへの応援と本の宣伝のシェア投稿をお願いします。」と言う主旨のDMを貰っており、宛名だけ書き換えれば済むような定型文のメッセージだったのでfacebookで冠地氏と繋がりのある方は他にも貰っている方はいると思われます。

既読スルーしたのもありましたが、俺自身がfacebookメッセンジャーはあまり使わない為、冠地氏のメッセージを受信していたのに気付いたのは受信してから1年以上経ってからの事でした。

関連事項も含め後述しますが、本やラジオ番組の宣伝シェアが思ったより少ない事に対して「シェアなら1投稿につき2秒でできるのに何でやらないんだ!」と逆ギレしてましたが、その2秒も惜しいくらい忙しい人も普通にいる訳だが自分の2秒と他人の2秒を同等に語るなと言いたい!

 

④自身の言行に一貫性が無い

④-1.選民思想の強さ

イイトコサガシでの活動を通じて、批判・陰口・無視・ブロック等の要素を排除した活動を公言しておいて冠地氏はこれらを平気で行っています。

facebook上のやり取りを拝見していても、冠地氏にとって耳触りが良く都合の良い事を言ってくれる相手に対してはえこひいき、逆に都合が悪く耳の痛い話や現実的な意見をされた相手に対しては、②でも書いたように屁理屈や難癖をつけたコメント返信や意図的に無視をしているのがあからさまです。

批判・陰口・無視・ブロックは無いのがベストでしょうが、残念な現実として子供の世界のみならず大人の世界でもいじめはある訳ですが冠地氏がやっているのはその加害者側と同レベルであるのは過言ではありません。

自分自身が有言実行できない癖に、他人に綺麗事の押し付けをしているのも反吐が出ます。

 

④-2.依存症問題への言及

「夢中ギフト」と言う浸透する見込みのない造語を作ってまで依存症問題について言及していましたが、傍から見たらまず自分のネット依存症をどうにかしろよと言いたいところです。

特にfacebookへの投稿頻度が他の人と比べると異常に多すぎると思った事と友人としてフォローしていた当時、自分のタイムラインが冠地氏の投稿ばかりで埋め尽くされ他の友人や趣味で参加してるコミュニティのメンバーの投稿が表示されなくなったり、冠地氏の投稿内容も何が言いたいのか分からず読み手がイライラするような内容ばかりなのがストレスとなりフォロー解除しました。

 

⑤母親に対する歪んだ愛情の気持ち悪さ

冠地氏は近年、お母様と東京の一部地域とラジオ局のアプリで聴取可能なコミュニティFMでラジオ番組を持ち出演されています。

2022年にお母様が癌を患い、この時は抗がん剤治療で一時的に改善したものの最初に発症してから約1年後に再発しています。

再発並びに冠地氏がfacebookに頻繁に投稿を繰り返した2023年3月下旬以降、このように述べられていました。

 

・体質的な問題で抗がん剤が合わず、今回の治療では抗がん剤は使わないとお母様の意思を表明

抗がん剤を使わない場合、余命は1年であるとお母様の主治医から説明を受ける

 

ここまでは内容におかしさは感じられませんが、問題はこの後

 

・私(お母様)のラジオを聴いてほしい、応援してほしい

・お見舞いよりラジオを聴いて応援メッセージがほしい

・火曜日の夕方6時からラジオをリアルタイムで聴いて放送時間中にラジオ局に応援メッセージを寄せてほしい

・アプリの聴き逃し配信を聴いた後に冠地氏のfacebookメッセージに寄せた応援やコメントは受け付けない

 

と、2023年3月下旬から4月頃にかけて冠地氏本人、時々「母もそう申しております」な具合でfacebookに連投を繰り返していました。

特に「母も申している」体の投稿では本当にお母様が仰っている発言なのか疑いを持つ人もおり、特に親交がある方が初見で見たら出演されてるラジオ番組の事よりお身体の事を気遣うのはごくごく自然の事ですが冠地氏は

 

「番組上で母の癌の事を説明する必要があるのか」

お見舞いよりラジオ番組への応援メッセージが欲しいと言う発言がお母様の本心なのか質問を寄せた相手に対して

「仮定の質問には答えかねる」

と言った具合に逆ギレな態度を取ってきました。

 

病気の事を悟られるのが嫌なら必要以上にSNSに書くなって話だし、悟られる原因を作ってるのは誰でしょうか?

仮定の質問と捉えたけど、自分は仮定の質問を作りまくってfacebookに投稿、上から目線でそれに回答しろと言った物言いとリアクションが無いと癇癪起こしまくりの癖によく言うよね?

もっと言うと2022年にお母様が入院された時のfacebookでの報告でも、普通は【ご報告】と見出しを付けるならまだしもテレビやYahooニュースみたいに【速報】と見出しを付けて伝えた時もおかしいと思った訳だが。

 

ザコン共依存に陥っている親子関係で一般的によく見聞きするような事例を通り越して、母親をどこかの独裁国家の指導者やカルト宗教の教祖様のような祀り上げ方をしているのも気持ち悪いです。

癌がどういう病気かを冠地氏が理解できているのかも怪しく見えます。

不謹慎を承知で言いますが、お母様が危篤状態になった時、今までのパターンからこの人は不当要求レベルにお母様への応援メッセージの要求と応援すればお母様が長生きできるんじゃないかと本気で勘違いしている気がします。

亡くなった後は通夜や葬儀への出席も同様に求め、生活がちゃんと成り立たなくなったり周りが自分の思った通りに構ってくれず変な事件を起こしそうにも見えます。